よし、団塊ジュニア、そろそろ起業しようか

~巷で何かと世間のお荷物扱いされがちな「団塊ジュニア」が、故郷の長野県で開業などを目指していく活動を綴ったブログです~

〔コンセプト〕
地域の有機農業、昔ながらの野菜の加工食品、太古から現在までの自然の恩恵・姿(ジオパーク)、かつての農家の暮らしかた、これらを復興し、それらを使った生活を実践して、新しいことも盛り込みつつ、限りある地域の資源(ヒト・モノ・カネ・トキ・シゼン)を無理なく使い、周りの人たちを巻き込みながら自分たちも成長していき、時代に即した、または何時の時代にも適応するツールを編み出すことを目標として活動していきます

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カテゴリ: 時事

東日本大震災から今日で8年が経ちました。甚大な被害をもたらした巨大地震と津波によって、多くの人達に悲しみと衝撃を与えました。その衝撃は海外にまで及び、多くの温かい手が差し伸べられて被災地の傷を癒やす助けとなりました。
今現在も、被災経験に苦しんでいる人や住むところにも苦労している方々もいます。健全に働くものとしては、所得税に含まれる復興税によって間接的に関われていることは良いことだと言えますが、それが本当に良いことに使われているかどうかというと、個人レベルでは推測することしか出来ません。

8年前のあの当時、私は会社員でしたが、その場ではすぐに被災地へボランティアに行くことも出来ずに、ただ義援金を3万円振り込むことが精一杯でした。

あれから8年、あのとき感じた衝撃から、「このままの人生でいいのだろうか」「もっと自分にはやるべきことがあるんじゃないかだろうか」「人助けがしたい」そんな想いから、悶々としながらも会社員生活を続けていました。

そんなあるとき、とある営業先で破天荒な社長さんに私は出会いました。その社長さんは、小さな医療機器を開発するメーカーさんだったのですが、70歳を前にしても次々と奇抜なアイディアを出して、ワンマンで事業を進めていらっしゃいました。私はその頃まで深く考えずに、それなりに会社員として過ごしていましたが、嫌なものには拒絶反応を示していたので、上には可愛がられずに昇進も遅かったです。いつかは抜け出したいと思っていましたが、それでも日々の忙しさを言い訳にして過ごしていましたが、その社長さんに出会って、「70歳でこんなにパワフルなら、40歳の私はもっともっとがんばるべきなんじゃないか」そう思いました。

そのまま会社員を続けるという選択肢ももちろんありましたが、割と飽きっぽい性格なところと、これまでのB to Bの仕事よりも、よりコンシューマに近い業種に就きたいと考えるようになり退職しました。

最初は、個人事業主として小売を目指していましたが、その前に会社員時代の経験を生かして長期海外ボランティアに挑戦してみようと思うようになりました。結果的にはできなかったのですが、様々なコミュニティに属して短期ボランティアに複数参加したり、語学や資格の勉強・取得をして多くのことを学び経験することができました。

そして今、アルバイトをしながら手持ちの資産を運用をしつつ、個人事業が始められるように活動しているわけですが、才能がないのか運が無いのか、2017年度の黒字と打って変わって2018年度末は大赤字となり、なかなか苦しい状況が続いています。生活費は生活費、資産運用のお金は資産運用、それぞれ別々にして現在と将来を分けて考えるようにしていますが、世界経済のサーキュレーションが予測よりも遅いと苦労も倍増します。クリプトアセット業界も「バブルが弾けた・弾けていない」の論争が未だにありますが、BTCが$4000を超えてくると状況も変わってくるかもしれません。

しかし、名のある大企業がそうであるように、たとえ本業の営業利益が出ていないとしても、自分を信じて突き進んでいくことが大事だと思います。もちろん、そこには血や涙を多く飲み込む苦しみを伴いますが、もうここまで来てしまった以上、走り続けるしかありません。楽しく幸せなことばかりでなく、多くの犠牲や苦痛を伴い、諦めなければならない、捨てなければならない決断をすることも今以上にあるかもしれません。人は一人では何も出来ず、人は人との繋がりがなければ何も出来ませんが、最終的に決断したり行動する意思は自分以外には出来ません。なにか大きな困難に立ち向かうとき、人は孤独になります。

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とても苦しいことではありますが、8年前に思い描いた自分の未来を忘れずに実現できるように、これからも頑張っていきます。そして8年前に亡くなられた方々が安らかに眠れますように、そして被災に遭われた方々が一日でも早く健やかに暮らせますように。。。

デジタルライフを満喫している皆さん、如何お過ごしでしょうか。先日、こんな法案がまとめられたようですね。おかげで巷は混乱に満ちています。
「スクショもNG」で広がる混乱、合法と違法の線引きは? “違法ダウンロード対象拡大”の問題点 ーYahoo!ニュース
そこいら辺のウェブブラウザ画面上をスクショすることも違法に繋がる可能性がありそうですが、どうなんでしょうか。そこいら辺のWebサイトが「違法」に運営しているかどうかを素人や個人が判断するのは非常に難しいことだと思います。

「自動公衆送信の受信(ダウンロード)」「デジタル方式の複製」「違法と知りながら」の3点が当てはまると違法ということですが、非常に難解ですよね。例えば、「大手企業が無断で使用した画像を利用したサービスのWebページ」を第三者がスクショして個人のブログなどに解説ページを投稿した場合は、どうなるんでしょうね?「知らなかった!」と言い通せば、罪にならない可能性が高いでしょうが、警察や検察などは一度狙った相手を何週間も勾留して自白させるようなこともしますから、実際には意図していなくても自白の強要となることもありそうです。

一方で、こういった法案が適切に運用されることは、クリエイターの保護につながるので利益が適切に分配される仕組みの構築にも繋がります。ただ、消費者側の心理としてはガチガチに法律で固められるとサービスの利用や商品の購入が遠のいてしまう可能性があるので、その業界全体の売上が落ち込むことにも繋がりかねませんね。


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今年に入ってから、悲しい事件や事故を目にすることが多くなりました。本当に痛ましくて悲しいことです。
特に”あおり”運転については、身の回りですぐに起きてもおかしくないくらい自動車が普及している昨今では、他人事では済まない状況です。さらに、自動車という密室の中では、普段の自分とは違う「気が大きくなった自分」となっていることが往々にしてあります。自分では気が付かないかもしれませんが、大なり小なり、あおり運転に発展する危険のあることをしたことがあると感じている方も多いことでしょう。
運転中などに嫌な思いをして
「心の中で(ふざけるなよ)と思った」
「ちょっとイラッとした」
くらいはあると思います。

「車内で大声を出した」
「クラクションを強く鳴らした」
「パッシングライトで威嚇した」
「猛スピードで前車に接近した」
ここまで来るとちょっと危険なサインだと思います。ここへ少し普段の生活にストレスがかかっていれば、その影響であおり運転がエスカレートする危険があります。

殆どが自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスが崩れているときに攻撃的になるものですが、現代のようにストレスの多い社会では、そのバランスを保つのが大変です。ストレスのもととなる生活・仕事環境を維持するために無茶なストレス解消法(暴飲暴食・タバコ・娯楽など)を試したりして散財して、またストレスのもととなる仕事や生活に振り回される。そうして振り回された挙げ句、運悪く「キチ◯イ」相手にキレてしまい、事件に巻き込まれたら元も子もありません。

一番手っ取り早いのは、ストレスのもとを絶つことです。
数十年以上の不況が続いているとはいえ、GDPが世界3位で、比較的に選択肢の多い現代です。自分の意志一つで環境を変えることは出来ます。他人の意見は関係ありません。

「どうせ私には出来っこない」
「家族がいるから無理」
「お金がないから駄目だ」

自分の思い込みで、実は大したことがないものが殆どです。大したことがないんだけど、少し生活が苦しかったり仕事がうまく行っていないときなどに家族に不幸があったり恋人に振られたり左遷させられたりすると大きなストレスがかかります。それで自分のパフォーマンスが落ちているのに生活を維持しようと頑張ってしまい躁になったり鬱になったりする。

無理しないで休めばいいんです。嫌だったら辞めればいいんです。

「期待されているから・・・」
「子供にいい将来を」

自分以外の人は案外ひとのことをしっかり見ていないものです。気にし過ぎなんです。お金も確かにあったほうがいい。より良い教育環境が得られます。でも、親の心配をよそに子供は勝手に元気に育っていきます。それに今の時代、スマホ1つあれば、広辞苑や百科事典並みのことは簡単に調べられます。世界中ともコミュニケーションが取れます。大事なのは、親の愛情をいっぱい受けた豊かな感性・個性です。そういった感性によって、より複雑な情報戦争の中でより確かな情報を読み取っていくことが可能となります。

ストレスに追われた生活環境で、果たして子供が家族が愛情を目一杯受けて育ってくれるものでしょうか。

煌めく都会のような密集した環境でなくても楽しく暮らしていくことは出来ます。反対に田舎のように目立ちやすい環境でなくても落ち着いて暮らすことも出来ます。


不況とはいえ自己主張や表現がある程度自由にできる環境が前提にあり、世界では国のGDP3位ですが一人あたりでは20位以下の「実質的には貧しい」人が多い日本。時給換算で1,800〜2,500円程度でせわしなく働くサラリーマンが一人一日あたり約12,000円を消費し家族の生活を支えるこの国では、”あおり”運転だけでなく、パーソナルスペースが侵されることに脅威や不快を感じる人がさらに増えています。むしろ、これまでと違う次世代の社会環境になりつつある現代において豊かで親切なサービスに溺れて退化しつつある大多数の日本人は、車だけでなく、SNSはもちろんのこと、住宅やアパートの室内、地下鉄の車内・座席、果ては歩道や海なんかでも個性の衝突でトラブルが起こすことが頻繁にあります。


通信回線やインフラ、SNSなどによる表現方法の進化によって、草の根まで細かく知ることができるようになってきています。
これまであまり知ることのなかった事件事故のリアルタイムな状況を知ることが出来ます。
それでも、自分の知らないことは山程あります。

今の自分のライフスタイルが無理なく、時代にあったものなのか、自分にあったものなのか、翻弄されずに常に意識していきたいものです。

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熱中症が社会問題になっていますね。書かずにいられなかったので、ちょっと書いておきますね。

私の地域でも、夏休みに入る前の登校する子供達の姿を見ていると気の毒で仕方がありませんでした。だって、このクソ暑いのに、年中行事の登山のために、重いバックパックを背負わされて登校させられているんですもの。予行練習だかなんだか知りませんが、今の時代、全員にやらせる意味ってなんなんでしょうね。
昔ほど、子供は貧弱ではないので、「そこで鍛えなくてもいいんじゃないの?」「他にやりたいこと(勉強とか)がある子供達に(勉強などに)集中できなくなるまでやらせる意味あるの?」とも思いますけどね。
一昔前の古臭い慣習を子供に押し付けて、夢を持っている子供達の未来を潰すような真似は、私だったら、絶対にしませんけどね。そんなに山好き田舎好きに洗脳しても、町や村を出ていく志の高い子供は勝手に出ていくんですよ。


こんな記事も目にしました。

猛暑の影響を考慮・長野市の小学校で夏休みのプール開放中止に(SBC信越放送) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180725-00333294-sbcv-l20

流石に「〇〇か」とまでは言いませんが、
何も中止までしなくても、もう少し考えられるんじゃないのかなぁ?世間やメディアの批判を気にし過ぎ。例えば早朝・夜限定とか、商店街と組んで簡単な露店出すとか、保護者用のテント建てるとか。こういう時こそ、産官学連携が必要じゃないの?って思うけどね、ま、どうせそういう人たちはスピード感がないから、無理だろうけど。上の許可が、とか稟議書が、とか、あーだこーだ言っているうちに夏が終わって、また来年になって更に気温が上がって大騒ぎするだけ。もう、既存のものじゃ回らない、日本は。って前から解りきっていることなのにね。相変わらず犠牲になるのは子供・女性・お年寄り・若者の弱者ばかり。もういい加減、老害には去って欲しいね。じゃないと、有望な若者が日本を去っていくよ、ほんとに。バカか、あっ、言っちゃった。。。

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日に日に最高気温が上がってきてますね。もう、東南アジアや中東と大差ないレベルまで来ています。それなのに、日本は多湿なのでなかなか体から体温が放出されませんので、小さい体の子どもたちは体温調整が困難になります。同じように、エアコンの冷たい風が苦手な代謝の衰えた老人も汗をかく夜中に亡くなる、なんてことも起きています。

学生さんが部活動中や授業中に熱中症になったなんてニュースもちらほら出てきています。エアコンも導入できない、電気代も賄えないような古臭い運営実態、子供の安全・成長よりも行事遂行が優先。時代に即した考え方もできないような頭のおかしな大人たちによって、毎年、子どもたちが犠牲になっていきます。犠牲というよりも、ここまでくると一種の「虐待」ですね。

私の地域では、毎年この時期になると、子どもたちが「重し」を入れたバックパックを担いで登校します。理由は、年中行事の登山のための予行練習だそうです。これは何十年も前から続いています。こんな「酷暑」の毎日でさえも。「昔から続いているから当たり前だ」「俺らもやってきたんだからお前らもやれ」みたいな、わけの分からないことをいうキ◯ガイの大人がいるから、空気を読んで敢行するんですよね。体力も権力もない子どもたちも、親や周囲の空気を読んで参加するしか無いんです、体力が尽きるまで。


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年中行事も、幾つかの選択制にすればいいんじゃないかと思うんですよね。登山が好きな人は登山。勉強が好きな人は勉強。遊びが好きな人は遊び。パソコンが好きな人はパソコン。学校だけで賄いきれなければ業者に外注するとかすればいいんですよ。それを大して考えもせずに、「これまでやってきたから」というだけで、伝統的に続ける。それじゃ、子供の感性も広がりませんし、伸びません。そんな子どもたちが大人になって、また同じことを繰り返し、いずれ破綻するだけです。それが嫌なら、旧時代の、大勢を一度に纏めて取り扱う年中行事なんて今すぐやめろ!馬鹿が!ということになります。
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因習やしがらみに囚われた悪しき「大人」たちの常識によって、子供や老人が犠牲になろうとしています。完全に日本はもう駄目なんでしょうか。お金を持った少数の富裕層が日本を離れていきます。独身の男女が増えていき、子供はますます生まれなくなっていきます。政府に騙されて来日した外国人労働者も、一部の高待遇者を除いて実態を知って逃げていくことでしょう。

一部の志を持った科学者とサラリーマン、それらに権力を握らせまいと権力を振りかざし洗脳しようとする既得権益集団。くだらない戦いに巻き込まれる死に体たち。他人事のように野良仕事に精を出す地方民。いつも犠牲になり大人のストレス発散に使われる子どもたち。

日本は、というよりも人類はこういう運命なんでしょう。戦うか、放棄してあざ笑うか、はアナタ次第です。

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